先週、佐々木小次郎の遺髪墓を紹介しましたが、隣り町の山口市阿東徳佐に「静御前の墓」もあると知り、同日、訪ねてきました。
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静御前と言えばあの有名な源義経の愛妾であり、絶世の美女として有名ですが、吾妻鏡に関係記述がありはするも義経と離ればなれになった後は全く記録がなく、殆ど伝説の域を出ないようです。
ですから、全国に終焉の地や墓が何カ所も存在しますが、そのうちの一つとして「山口市阿東徳佐」にも静御前の墓として伝わるものがあります。
『吾妻鏡』によれば、源平合戦後、兄:源頼朝と対立した義経が京を落ちて九州へ向かう際、静も同行しますが義経の船団が嵐に遭い、引き返して吉野で義経と別れ京に戻ろうとしました。
しかし戻る途中に従者に持ち物を奪われ、山中を彷徨っていたところを山僧に捕まり、京の北条時政に引き渡され、文治2年3月には母の磯禅師とともに鎌倉に送られました。
ところが、同年4月8日鶴岡八幡宮社前で、頼朝に白拍子の舞を命じられた静は義経を慕う歌を唄って頼朝を激怒させてしまいますが、頼朝の妻の北条政子の取り成しで一命を救われました。
この時、静は義経の子を胎んでおり、頼朝は「女子なら救うが、男子なら殺す」と命じたのち静が男子を産んだことから、その男の子は由比ヶ浜に沈められました。
その後、9月16日、静と母の磯禅師は京に帰され、憐れんだ政子が多くの宝を持たせたということですが、その後の消息は全く不明です。
静御前の死については自殺説や客死説等、諸々の伝承がありますが確たるものはまったくなく、いずれにせよ若いうちに死去したとする説が多いようです。
信じるか信じないかは別として、謎に満ちた伝説の美女の墓が山口県にあると聞けば、やはりこの目で確かめたいと現地に赴き、墓や説明板等を撮影してきましたので、紹介します。
詳細な関連情報及び場所は~阿東観光協会HP を参照
http://www.ato-kankou.org/View/Shizukagozen/
レンタカーのご用命は山口県レンタカー協会加盟店へ
http://www.yama-rentcar-kyokai.jp/
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