山口県出身の有名な歌人、俳人 に、中原中也や金子みすずがいるが、「種田山頭火」も忘れてはならず、彼が晩年、6年余り住んで作句に励んだ庵「其中庵」を紹介する。
“分け入つても分け入つても青い山”(句集:鉢の子より)
等の句で有名な「種田山頭火」(本名・種田正一)は、明治15年防府市で生まれ、昭和15年に松山市で亡くなった。(58歳)
実家は大地主で、若き頃より俳句に親しんだ山頭火は、早稲田大学文学部に入学するも神経衰弱で退学帰郷、その後、父との酒造業が破産、妻子との離縁等々の不幸が続いたあげく、大正13年(42歳頃)に熊本市の曹洞宗報恩寺で出家、大正15年から行乞(ぎょうこつ)の旅を始めた。
山頭火は28歳頃から「山頭火」と名乗ったと言われるが、作句と行乞の旅に生きながらも安住の地を探し求め、昭和7年9月に、当時小郡(おごおり)に住んでいた俳友、国森樹明、伊東敬治らの勧めによってこの地に「其中庵」と名付けた庵を結び、昭和13年10月までここで暮らした。
そして、多くの俳友等と交流を深めた「山頭火」は、近郊を行乞しながら、この其中庵で、『三八九』(さんぱく)第四、五、六集、句集『草木塔』、『山行水行』、『雑草風景』、『柿の葉』など自由律俳句と言われる句集を発行し、最も充実した文学生活を過ごしたが、庵の老朽化に耐えられず山口市に居を移した。
現在の其中庵は、平成4年3月に当時の建物を復元したものである。
~貼付した現地案内板写真の説明を参照~
また、其中庵のすぐ近くに其中庵休憩所(日中無料開放)があり、駐車場も完備されているが、ここに至る経路が少し分かりづらいのが難点である。経路途中には、何カ所か山頭火の句碑が設置してあるので、山口市小郡地域交流センター等に駐車して、徒歩で行っても10分程度である。
所在地
山口県山口市小郡下郷1811
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