鞍馬天狗/嵐寛十郎(1936年)
「鞍馬天狗」は大佛次郎の時代小説です。「鞍馬天狗」を名乗る幕末勤王の志士があの頭巾姿で縦横無尽に活躍するさまに多くの読者が引き込まれ、また、嵐寛十郎扮する映画にもなり大ヒットしました。
その、鞍馬天狗のモデルとなった人物は、幕末に活躍した美東町長登生まれの長州藩士「福原乙之進信冬」とのことであり、しかも彼の墓が長登の常福寺境内にあると聞きビックリしました。
美東町文化研究会発行の「ぶんかねっと」に、次のとおり紹介されています。
「大佛次郎(おさらぎじろう)の小説「鞍馬天狗」は、幕末に活躍した「福原乙之進信冬」がモデルともいわれています。普段は倉田典膳(くらたでんぜん)と名乗っていますが、「倉田典膳」は、乙之進は、長登の福原家(萩藩五十石取り)の長男として生まれましたが、維新の動乱期には久坂玄端らと、長井雅楽(ながい・うた)の暗殺を謀ったり、高杉晋作らと英国公使館を焼き討ちしたり、志士間を奔走し、倒幕の策を議して最後は志半ば27歳で自刃しました。久坂玄端も慟哭し、彼の死を惜しんだそうです。
鞍馬天狗の原作者大仏次郎先生が来町された際、この「福原乙之進」が、鞍馬天狗のモデルとしてはもっとも有力な人物の一人であると言われたようです。」
本日、常福寺を訪れるとちょうどご家族のご不幸で、住職から話をきくことはできませんでしたが、お墓の確認と写真を撮らせていただき、後で近所の長老から少し話を聞くことができました。墓は本堂に向かって左方にありました。
常福寺全景
及び本堂
それによりますと、福原乙之進の生家は常福寺の少し北方にある「長登のしだれ桜」の更に北方にあたり、もともとそこに墓もあったようです。
しかし、既に福原家が絶家となり、そこには現在、小郡・萩道路が開通しています。
そこで、福原家が常福寺の檀家だった関係で、今から十数年前に墓が常福寺境内に移転されたとのことでした。
※ 常福寺その他において、こうした説明板等は全くありませんが、地元では昔か ら言い伝えられているようです。
なお、墓所は東京都世田谷区の松陰神社にもありますが、彼が江戸赤坂の刈谷藩邸内で倒幕を密議中に襲撃されて自刃していることから、直接葬られたのは現在の東京だということです。
常福寺所在地
〒754-0213 山口県美祢市美東町長登481
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