一昨年はNHKで、福山雅治主演の大河ドラマ「龍馬伝」が放映され、
全国的に龍馬ブームが巻き起こりました。そのお陰で、土佐はもちろん
長崎、鹿児島などはゆかりの地として相当の経済効果があったとか・・・・・
山口県も、中ノ関(防府市)、下関市、萩市のほか、山口市にも坂本龍馬
や高杉晋作、桂小五郎、西郷隆盛などが何度か立ち寄っていると認められ
るも、残念ながら確たる証拠がありません。
特に山口市での記録は殆ど無いようですが、湯田温泉の老舗旅館「松田
屋ホテル」には、坂本龍馬や高杉晋作など勤王の志士たちが何度か集い
入浴したとされる風呂(現「維新の湯」)があります。
また、薩長同盟の立役者:坂本龍馬と関係が深い木戸孝允(桂小五郎)は、
生まれたのは萩ですが山口市糸米にも居宅がありました。
また、坂本龍馬は1865年(慶応元年)頃から暗殺された1867年11月まで
の約3年間に、記録が残っているだけでも、京都以西の大阪、下関、長崎、
鹿児島等を何往復もしています。
薩長同盟が成立した1866年1月22前後には下関や京都、大阪等で龍馬と
木戸等は特に頻繁に会談を行っており、木戸の居宅が山口にもあることから
して、山口で密談していた可能性はあるはずです。
その裏付けの一つの可能性がある古刹が山口市にありましたので、参考に
紹介します。
それは、
山口市大内御堀301 にある「乗福寺」です。 (国道9号から県道21号線を東進、ユニクロ前から市道(萩往還道)
に入り約250m進むと、道路脇に「乗福寺」の案内標識あり)
乗福寺地図
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当寺は、1312年に大内重弘が建立したとされる臨済宗の古刹で、室町時代
には一千余石の寺領であったとされるが、大内氏滅亡後は衰退したもので、
その経緯等は下記由来書のとおりです。この由来書きがいつ頃のものか等の
詳細は不明ですが、その後半に
・・・坂本龍馬が長藩士と薩長連合(字の誤り有り)の相談をした・・・
旨の記述が認められます。
現在のところ、その真偽は不明で、裏付けの資料もありませんが、その時代
背景から、可能性は十分認められると私は思っています。
どなたか、その経緯を詳しくご存じの方は教えていただきたいものです。
山口県レンタカー協会 http://www.yama-rentcar-kyokai.jp/
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