2013年2月19日火曜日

「七盛塚」に  “「盛」6基”  のナゾ?







 

 下関・壇ノ浦の戦いで平氏が滅亡し、祖母にあたる二位の尼(時子)に抱かれ入水された安徳天皇(8歳)を祭っている赤間神宮の境内に、通称「七盛塚」(ななもりづか)と呼ばれる平家一門の供養塔があります。
 この七盛塚は、 前列に有盛、、清経、資盛、教経、経盛知盛教盛
      後列に徳門、忠光、景継、景俊、盛継、忠房、二位の尼

がありますが、「盛」の付くのは六基しかなく、最も主要な「清盛」がありません。







 その理由について調べてみると、彦島に「清盛塚」があるから・・・という説もあり、
なるほどと思って、彦島の清盛塚を確認してきました。
 事前に地図で場所を確認しましたが付近には駐車場がないらしく、下関駅からバスで約10分、杉田バス停で下車すると目の前の擁壁に案内板があり、それに従って約10分歩くと、小高い丘の上に「清盛塚」がありました。
 清盛塚については「説明板」のとおりですが、やはり「盛」の付く名前の供養塔7基目は、ここ彦島の「清盛塚」だろう・・・という思いを強くした次第です。
 平氏は清盛時代に絶頂期を迎え、「平氏にあらずんば人に非ず」などと、余りにも驕り高ぶったためにイマイチ人気はありません。しかし、壇ノ浦の戦いで平氏を滅亡させた源氏も、戦の後に平氏が拠点としていた彦島に上陸し、住民に対する略奪や狼藉の限りを尽くしたとのことで、現在でも、彦島住民の源氏への恨みや憎しみは相当根強く残っているらしく、当然ながら源氏に関する史跡等は全く無いようです。

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